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2026.2.15

《 ひとコマ 》   No 7

ブログ

人間の姿

新年早々、ぜひ会いたいとメールをいただきました。私の子供に当たるくらいの年齢の方で、2年半振りの連絡です。メールには『野生児から人間にして戴いた…云々』と書かれてありました。過去20数年に渡り関係を持たせていただいた人です。近況報告も兼ね、会えるうちに、けじめとして挨拶をしたいとの強い想いが、伝わってきました。
2月早々にお目にかかることができました。お帰り間際に「命の大切さをしっかりと教えてもらえました。」と言葉にして下さいました。また その後に戴いたメールの文末に『もらった命は最後まで使うつもりです。有難うございました。』とありました。生まれ育った環境や心身の状態から、人々との関係に苦しみ、一方で見守ってくれる人達にも出会い、と 学んでいく姿はまさに命がけの様相で『凄い』としか言いようがありません。今後の心身共にの安定を願うばかりです。

彼女の生き様・在り様をきっかけに、今迄出会いをいただいた人々の姿を振り返り、思いを巡らせています。私が今理解している、人間の姿のほんの一部分ですが書いてみたいと思います。

前に進めず、戻ることもできずに、否定的なイメージを膨らませ現実からますます遠ざかり苦しみの中に居続ける場合があります。嫌だ嫌だと言いながら、自分の考え方に自分が縛られている状態です。

思いや考えを言葉にすることは、その思いや考えから解放されて次に進んでいく働きがあります。自分自身の思いや考えなので状態・状況は何も変わってはいないのに、話すとスッキリするのもうなずけます。

思いや考えは、何らかの行動に起こすと前に進む為のエネルギーに変えていくことができます。新たな体験に適応しながら、分からないことが起きると、分かろうとする働きが起きて…とプロセスの中に生きることができます。新たな考え方を修得し、耐える力も同時に身につけ生きる力にもなります。

人って不思議です。漠として形の無い社会の中で、誰とどの様な出会いがあるのでしょう。他者との出会いから、人間関係の持ち方・考え方等生きる知恵を学んでいきます。それは自分の生きる方向性を示すものです。いずれにしても全て自分の世界の中で起きていることです。


ちなみに、日常会話として「また会いましょう」等とご挨拶をすることがあります。しかし振り返ってみると『またの機会』はやって来ず、その場のご挨拶で終わってしまいます。
そうですねぇ。『また会いましょう』『そのうち』では、いつまでたっても会えません。『また』や『そのうち』は言葉としてはあるけれど、その様な時間はどこにもありません。
会いたいと願うのであるならば『自分から連絡(行動)をしよう』と再確認している私です。自分の気持ちなのですから。          

 

若狹 惠美子  令和8年2月10日 筆     

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